賑やかな湯布院の静けさ@大分
2011/09/15
最終地は湯布院です。
ここは、全国的にも有名で、私も何度も通っています。
小さな頃は、単なる盆地の温泉地だったのに、今では開発されすぎて、店が多すぎる~。
さすがに、飽和状態だとは思うけど、少し離れるとまだまだ田んぼが広がり、のどかな田舎の景色が残っています。
アート・温泉・食といろんな意味で、バランスの取れてる故の人気だなあと、思います。
昔はここに住んで、何かクラフト系の修行をしたかったものです(笑)
ここは、全国的にも有名で、私も何度も通っています。
小さな頃は、単なる盆地の温泉地だったのに、今では開発されすぎて、店が多すぎる~。
さすがに、飽和状態だとは思うけど、少し離れるとまだまだ田んぼが広がり、のどかな田舎の景色が残っています。
アート・温泉・食といろんな意味で、バランスの取れてる故の人気だなあと、思います。
昔はここに住んで、何かクラフト系の修行をしたかったものです(笑)

金鱗湖に続く川。野生のクレソンが自生して、水がとても澄んでいます。
ここの住民の人達が、川を守るために、非常に努力をしている賜物。

金鱗湖。半分温泉が湧き出ている故、早朝には朝霧が見れます。
藁葺き屋根の小屋が「下ん湯」という、混浴温泉。外から見えるので入る勇気無いわ~

湯布院屈指の名旅館「亀の井別荘」の敷地でまったりと。
ここの「天井桟敷」という喫茶店が,雰囲気が良くてお勧めです。

そして時間ぎりぎりまで、無料の足湯を満喫!贅沢にも、独り占めでしたよ。
時間が制限されたツアー故、ほんのつかの間の湯布院詣だったけど、
一人でぶらついたのは初めてて、何だか不思議で、楽しかったなあ。
一人でぶらついたのは初めてて、何だか不思議で、楽しかったなあ。
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九州の小京都「日田の豆田町」@大分
2011/09/11
すっかり放置しておりました。
そう「なないろ観光バス」の続きですw。太宰府天満宮の次は、大分の日田の豆田町。
日田は、江戸時代は幕府の直轄地(日田天領)で、九州内でも栄華を極めた土地でした。今でも、昔ながらの町並みが保存されていて、大分の小京都とも言われています。
私がこのツアーに参加した、一番の目的地でもあります。
ここ豆田町は、2004年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたらしい。
あ、最近人気上昇中の柚子胡椒は、日田が発祥なんですよ♫
豆田町のHP

そう「なないろ観光バス」の続きですw。太宰府天満宮の次は、大分の日田の豆田町。
日田は、江戸時代は幕府の直轄地(日田天領)で、九州内でも栄華を極めた土地でした。今でも、昔ながらの町並みが保存されていて、大分の小京都とも言われています。
私がこのツアーに参加した、一番の目的地でもあります。
ここ豆田町は、2004年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたらしい。
あ、最近人気上昇中の柚子胡椒は、日田が発祥なんですよ♫
豆田町のHP

太宰府天満宮@福岡
2011/08/29
福岡から大分への帰省に、面白い観光バスを見つけました。
「なないろ観光バス」で、九州各地を観光しながら結ぶバスです。
福岡市内発→太宰府天満宮→天領日田(豆田散策)→湯布院→別府着と、各名所を回って2500円!安いです。普通の高速バスと同じ値段。日田は行った事が無いし、湯布院も久々なので、これで帰る事にしました。
そして、当日...。何と、参加人数は、私を含めて3名!
普通に立派な、観光バスです。バスガイドさんもおります(笑)。他の二人は、関東に住む男性2名。これも震災の影響で、客足が減っているのでしょうか?
このバスの収益が気になったけど、ともあれゆる~く、バスは出発しましたw。
景色を見たくて、一番前のパノラマビューに座ったら、何と目の前でガイドさんが説明をば!寝るのも携帯を見るもの悪いので、真面目に聞いて疲れました(笑)
こういうガイドさんが付くバスって、何年ぶりだろう?まあ、ためになったわよ。

「なないろ観光バス」で、九州各地を観光しながら結ぶバスです。
福岡市内発→太宰府天満宮→天領日田(豆田散策)→湯布院→別府着と、各名所を回って2500円!安いです。普通の高速バスと同じ値段。日田は行った事が無いし、湯布院も久々なので、これで帰る事にしました。
そして、当日...。何と、参加人数は、私を含めて3名!
普通に立派な、観光バスです。バスガイドさんもおります(笑)。他の二人は、関東に住む男性2名。これも震災の影響で、客足が減っているのでしょうか?
このバスの収益が気になったけど、ともあれゆる~く、バスは出発しましたw。
景色を見たくて、一番前のパノラマビューに座ったら、何と目の前でガイドさんが説明をば!寝るのも携帯を見るもの悪いので、真面目に聞いて疲れました(笑)
こういうガイドさんが付くバスって、何年ぶりだろう?まあ、ためになったわよ。

天満宮へ向かう参道は、名物「梅が枝餅」の店で大賑わい

三つの太鼓橋は、過去・現在・未来の三世一念という仏教思想だそうな。
藤原道真公を祀っている本堂。右の木が、空間を飛んで来た「飛梅伝説」の御神木の梅。
ここまで、旗を持ったガイドさんが、我々3名を誘導(笑)。ある意味、新鮮w。


ここは学業祈願で有名です。皆、この牛の頭をなぜていたので、私もあやかりました。



三つの太鼓橋は、過去・現在・未来の三世一念という仏教思想だそうな。

藤原道真公を祀っている本堂。右の木が、空間を飛んで来た「飛梅伝説」の御神木の梅。
ここまで、旗を持ったガイドさんが、我々3名を誘導(笑)。ある意味、新鮮w。


ここは学業祈願で有名です。皆、この牛の頭をなぜていたので、私もあやかりました。


私のB級グルメの鼻が、嗅ぎ付けたお店(笑)。間違いはなかったわ。
屋台で博多ラーメン@博多
2011/08/28
毎年夏の帰省には、ホテルが一泊付く九州周遊ツアーを利用して、九州内を観光しながら帰るのだけど、今年は高千穂と迷ったあげく、交通の利便性で福岡に寄る事にしました。
福岡には、兄の家があるので、博多の屋台でラーメンが食べたい~!という、ベタな希望に付き合ってもらう事に。
義姉が最初に、天神の古民家を改装した「大名 居酒屋さくら」に連れて行ってくれました。
隠れ家感のある一軒家で、エントランスや内装もなかなか素敵~。


半日、天神を歩きましたが、東京と全く変わんないね。福岡って、住むには丁度いい規模の街だなあと思います。何よりも、街が元気なのが良い。
その後、観光気分で博多の屋台へ。
中州あたりに並んでいると思っていたけど、天神にも結構あるのね。
義姉が調べてくれたお目立ての屋台が見つからず、生ビール半額につられて、決定(笑)
ソフトバンクが勝つと半額という、野球好きなお兄さんの屋台でした。

天神屋台「撫順」の博多ラーメン500円。
シンプルな博多ラーメン&おでんとビールは、夏の夜には合いすぎ(笑)うまかった~!
福岡には、兄の家があるので、博多の屋台でラーメンが食べたい~!という、ベタな希望に付き合ってもらう事に。
義姉が最初に、天神の古民家を改装した「大名 居酒屋さくら」に連れて行ってくれました。
隠れ家感のある一軒家で、エントランスや内装もなかなか素敵~。



その後、観光気分で博多の屋台へ。
中州あたりに並んでいると思っていたけど、天神にも結構あるのね。
義姉が調べてくれたお目立ての屋台が見つからず、生ビール半額につられて、決定(笑)
ソフトバンクが勝つと半額という、野球好きなお兄さんの屋台でした。


天神屋台「撫順」の博多ラーメン500円。
シンプルな博多ラーメン&おでんとビールは、夏の夜には合いすぎ(笑)うまかった~!
長崎旅行「ついに上陸!長崎の軍艦島クルーズ」
2010/09/11
やっと軍艦島の日記です~。8月23日、ついに念願の軍艦島に上陸しました!
長崎の二日目。お昼は、茶碗蒸しが有名な老舗の「吉宗」で。
この日の日替わり定食は、豚の角煮(1050円)
茶碗蒸しは、プルルンと柔らかくって、とても美味しかった!
軍艦島上陸ツアーは、2つあったんですが、私は「やまさ海運さん」を選びました。
中止でも料金がかからない事と、島の裏側も廻ってくれるのが決めてです。
大人料金:4000円+施設使用量300円
中高生 :3200円+300円
子ども :2000円+150円
参加したのは、13:10~4:00までのコース(夏と冬でダイヤが変わります)
ターミナルは、この窓口だけ人でいっぱい。
船着き場で待ってると、来ました~。私達が乗る、マルベージャ号です。
午前のクルーズ客で、賑わっていました。平日なんだけど(笑)
軍艦島クルーズは、こんなコースです(@ちらし)
とあるサイトで、「行きは、デッキの右前方。帰りは,写真を撮るなら、右後方がいい」
と、書いてたので、しっかりデッキの右前方を確保!

茶碗蒸しは、プルルンと柔らかくって、とても美味しかった!

軍艦島上陸ツアーは、2つあったんですが、私は「やまさ海運さん」を選びました。
中止でも料金がかからない事と、島の裏側も廻ってくれるのが決めてです。
大人料金:4000円+施設使用量300円
中高生 :3200円+300円
子ども :2000円+150円
参加したのは、13:10~4:00までのコース(夏と冬でダイヤが変わります)
ターミナルは、この窓口だけ人でいっぱい。

船着き場で待ってると、来ました~。私達が乗る、マルベージャ号です。
午前のクルーズ客で、賑わっていました。平日なんだけど(笑)

軍艦島クルーズは、こんなコースです(@ちらし)
とあるサイトで、「行きは、デッキの右前方。帰りは,写真を撮るなら、右後方がいい」
と、書いてたので、しっかりデッキの右前方を確保!


左:三菱重工業長崎造船所。「龍馬伝」に出て来る、岩崎彌太郎が起こした会社です。
右;神の島教会と、マリア像。長崎から行くのは、少し大変だけど、一度行ってみたかった教会。
そして、小島の影からうっすらと軍艦島が!!!
廃墟好きには、聖地エルサレムと称されています(笑
初めて、この島の存在を知った時は、驚きました。
そして、島の由来やここに生活があった事に、すっかり魅了されてしまったのです。
ああ、ついにこの目で見れるのね~。
危険ではない様に、遊歩道が。
おしりも、異常気象の炎天下。日陰が無く、暑かった!!
当時、島で暮らしていたガイドさん3名が、同行しています。
見学広場3カ所で、それぞれ当時の暮らしぶりを話して下さいました。
当時の写真を見せられ、その時代に思いを馳せます。
着いてすぐ見えるのが、職員社宅(幹部用)
ここでは、お風呂は基本、共同浴槽だったけど、幹部用だけにお風呂が付いていたとか。
台風の度に、窓の枠部分が無くなるみたいで、
「後、数年したら、無くなりますよ。来るたびに変化を見るものいいですね」と、ガイドさん。
「第二堅坑坑口桟橋後」
ほとんどの鉱山施設が崩壊してる中、第二堅坑へ行く桟橋への昇降階段部分が残っているそう。
「総合事務所」
赤煉瓦の建物が目立っていました。
中には、炭坑マンのための、大きな共同浴場があったとか。
「以前,この島に住んでいた方はいますか?」
ガイドさんの質問に、年配の女性が一人手を挙げました。
ここで、生活していた人には、ふるさとなんですね。
どんな気持ちで、この廃墟群を見てるんだろう。私とは、全く違う思いなのは、間違いないけど。
「30号棟アパート(右)31号棟アパート(左)」
30号は、なんと1916年(大正5年)に建てられた、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート建物!
当時、三種の神器と言われた、冷蔵庫・洗濯機・テレビの普及率がほぼ100%で、
東京オリンピックを皆、家のテレビで見れたそうです。
三菱の潤沢な資金で、狭い島の中では、最先端の生活が、楽しめたんですね~。
1958年(昭和33年)完成のプール。
このプールは,海水を利用していたとか。
島の暮らしで、一番怖かったのが、大型台風。
写真を見せていただきましたが、巨大な大波が島全体を襲っていました。
島の一番の荒廃の原因は、台風だとか。
「端島小中学校」
1~4階までが小学校,5.7階が中学校。6階は講堂・音楽堂・図書館がありました。
緑が少ないために、屋上には、土を運んで畑があったとか。
六本木で、屋上菜園が話題だけど,元祖はここだと,ガイドさんは笑ってましたw
手前の赤いドームの鉄骨が、体育館。
「端島神社」
安全祈願のための、大切な心の拠り所だったそうです。盛大なお祭りも、あったとか。
今では、祠が残るのみ。
約1時間の上陸後、軍艦島を後に。
もっと、住居個所を見たかったけど、仕方ないですね。
こんな、小さな島に、日本一の人工がひしめき合っていたのは、何だか不思議です。
船は、桟橋から住居部分へと。
こちらは,全く見れなかったので、皆写真撮りに夢中。確かに、軍艦に見える~。
島の片側に住居が集まっているのは、台風の防波堤の役割りのためだとか。
合理的に作られてたんだそうです。
どうりで、幹部用社宅は、真ん中の良い場所にあるわけだw
住居側の左サイド。
ほとんどが、鉱員社宅。郵便局、理髪店、パチンコ店もあったとか。
小さく、端島神社の鳥居が見えます。
右;神の島教会と、マリア像。長崎から行くのは、少し大変だけど、一度行ってみたかった教会。

そして、小島の影からうっすらと軍艦島が!!!
廃墟好きには、聖地エルサレムと称されています(笑
初めて、この島の存在を知った時は、驚きました。
そして、島の由来やここに生活があった事に、すっかり魅了されてしまったのです。
ああ、ついにこの目で見れるのね~。

危険ではない様に、遊歩道が。
おしりも、異常気象の炎天下。日陰が無く、暑かった!!
当時、島で暮らしていたガイドさん3名が、同行しています。
見学広場3カ所で、それぞれ当時の暮らしぶりを話して下さいました。
当時の写真を見せられ、その時代に思いを馳せます。

着いてすぐ見えるのが、職員社宅(幹部用)
ここでは、お風呂は基本、共同浴槽だったけど、幹部用だけにお風呂が付いていたとか。
台風の度に、窓の枠部分が無くなるみたいで、
「後、数年したら、無くなりますよ。来るたびに変化を見るものいいですね」と、ガイドさん。

「第二堅坑坑口桟橋後」
ほとんどの鉱山施設が崩壊してる中、第二堅坑へ行く桟橋への昇降階段部分が残っているそう。

「総合事務所」
赤煉瓦の建物が目立っていました。
中には、炭坑マンのための、大きな共同浴場があったとか。

「以前,この島に住んでいた方はいますか?」
ガイドさんの質問に、年配の女性が一人手を挙げました。
ここで、生活していた人には、ふるさとなんですね。
どんな気持ちで、この廃墟群を見てるんだろう。私とは、全く違う思いなのは、間違いないけど。

「30号棟アパート(右)31号棟アパート(左)」
30号は、なんと1916年(大正5年)に建てられた、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート建物!
当時、三種の神器と言われた、冷蔵庫・洗濯機・テレビの普及率がほぼ100%で、
東京オリンピックを皆、家のテレビで見れたそうです。
三菱の潤沢な資金で、狭い島の中では、最先端の生活が、楽しめたんですね~。

1958年(昭和33年)完成のプール。
このプールは,海水を利用していたとか。


島の暮らしで、一番怖かったのが、大型台風。
写真を見せていただきましたが、巨大な大波が島全体を襲っていました。
島の一番の荒廃の原因は、台風だとか。

「端島小中学校」
1~4階までが小学校,5.7階が中学校。6階は講堂・音楽堂・図書館がありました。
緑が少ないために、屋上には、土を運んで畑があったとか。
六本木で、屋上菜園が話題だけど,元祖はここだと,ガイドさんは笑ってましたw
手前の赤いドームの鉄骨が、体育館。

「端島神社」
安全祈願のための、大切な心の拠り所だったそうです。盛大なお祭りも、あったとか。
今では、祠が残るのみ。

約1時間の上陸後、軍艦島を後に。
もっと、住居個所を見たかったけど、仕方ないですね。
こんな、小さな島に、日本一の人工がひしめき合っていたのは、何だか不思議です。

船は、桟橋から住居部分へと。
こちらは,全く見れなかったので、皆写真撮りに夢中。確かに、軍艦に見える~。
島の片側に住居が集まっているのは、台風の防波堤の役割りのためだとか。
合理的に作られてたんだそうです。
どうりで、幹部用社宅は、真ん中の良い場所にあるわけだw

住居側の左サイド。
ほとんどが、鉱員社宅。郵便局、理髪店、パチンコ店もあったとか。
小さく、端島神社の鳥居が見えます。

パンフより転載。
全体像は、こんな構造でした。
帰りの船中では、島の生活ぶりを映した,ドキュメンタリーを見ました。
やはり、こんな島って,世界の中でも特異な存在だよねえ。
あっという間に、170分のツアーも終わり。
最後に,「軍艦島上陸証明書」をいただきました!すごく、嬉しいんだけど(笑)
最後に、写真が多かったので、4トラベルデビューしました!
少しだけ、画像が多いので、こちらも覗いてね。
↓
「こゆきんの4トラベル」
こちらのサイトの写真が美しいです。内部も見れます。