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赤穂浪士の墓@泉岳寺

2011/05/24
「ケララの風」のランチの後、せっかくこの界隈に来たので、一度も訪れた事の無い泉岳寺に。
ここは、「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士達の墓があるお寺。
今まで歌舞伎やら映画やテレビやらで、繰り返し取り上げられて来た、余りにも有名で日本人が大好きな話だけど、こんな所が舞台だったのね~。
泉岳寺のHP


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寛永18年(1641年)に、ここに移転。  

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大石内蔵助の銅像
当時の風俗である元禄羽織を身につけ、連判状を手にして江戸方向をじっとにらんでいる姿


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途中に水琴窟が。何とも繊細で涼やかな音色。
昔の人の感性は、本当に素晴らしい。

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「血染の石 血染の梅」
浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石です。

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「首洗井戸」ひょえ~

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四十七士墓所への入り口


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浅野内匠頭の墓

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入り口でお線香(100円)を購入。
係のおじさんに「九州の人だね」と、見破られました
線香の発音が、九州だそうですわw。同じ九州人らしく、親切に解説してもらっちゃた。

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主人の墓の隣の敷地に、四十七士の墓が並んでいました。

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ひと際目立つのが、大石内蔵助の墓

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堀部安兵衛の墓
この様に切腹による死なので、頭に「刀」の文字が入っていました。
こうやって実際の墓を見ると、物語がぐっとリアリティを持って、感じられますね。
観光客も頻繁に訪れていて、人気の高さが伺われました。

「赤穂義士は元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬されました。
ただし間新六の遺体は遺族が引き取っていきました。また寺坂吉右衛門は本懐成就後、瑶泉院など関係者に討ち入りを報告して廻り、のち江戸に戻って自首しましたが赦され、麻布・曹渓寺で83才の天寿を全うしました。現在も曹渓寺に眠っています。
泉岳寺にある間新六の供養墓は他の義士の墓と一緒に建立されましたが、寺坂の墓は慶応4年(明治元年・1868年)6月に供養のために建てられたものです。
また、いわゆる47士の他に、本人は討ち入りを熱望したものの周囲の反対に遭い討ち入り前に切腹した萱野三平の供養墓があります。(明和4年(1767年)9月建立)したがって泉岳寺の墓碑は48あります。」HPより
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歴史ある界隈なので、泉岳寺裏手の感じのいい細道を探索です。
こんな井戸が、残っていましたよ。


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旧細川邸のシイ
白金高輪駅の近くにあり、途中で切られてはいるけど、かなりな巨木です(樹齢300年以上)
この地で、大石内蔵之助ら17名の赤穂浪士が預けられ、切腹をしたとか。



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それから、おしゃれな白金のプラチナ通りを抜け、こんな古い素敵な洋館を見っけ!
結婚式会場みたいです。


そのままてくてくと歩き、恵比寿ガーデンプレースで終着!
都内のそぞろ散歩も、又楽し・・・・・
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03:05 お散歩 | コメント(0) | トラックバック(0)
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